自分のiPhoneには、
赤いアイコン、白抜き文字の「UNIQLOアプリ」が入っている。
着心地のよい、綿の半そで、長袖を安く買いたいから(笑)
お気に入りに登録しておくと、アプリのハートマークをクリックすれば、
お気に入り登録商品が「ズラッと」表示される。
お気に入り登録している商品が値下げされたら、スマホに通知がくる。
「商品が値下げされました!」
アプリを開いてみると、ほう。
「¥1,290値下げ」
よし、買おう(笑)数量と購入ボタンをクリック
それで終了。黒猫さんたちが、配送してくれて、2~3日で家に届く。
待ちの姿勢で事足りる
UNIQLOアプリを開くと、たまに広告が最初に表示される。
スーパーの広告みたいに、アウター、インナー、下着、カバンなど小物類
1枚の画像に、所せましと商品、数字が並んでいる。
新商品とかなら別だが、自分の欲しいものが決まっているなら、もはや
あまり広告を見る必要はない。
向こう(アプリ)からこちらに通知がくる。
わざわざこちらから、広告を見まわして、「あの商品今週安くなっているかな?」と
探す必要がない(笑)
本当に便利な世の中になった。
朝、チラシから会話が始まる
今でもよく覚えている。
自宅のドアポストに、朝5時頃「シュ!」と差し入れられる。
誰か起きている人は、さっと取りに行く。新聞である。
新聞に挟まれているのが、カラフルな「紙のチラシ」
多いときは20枚ほど入っていた、と記憶している。
毎朝の家族の会話は、チラシからだった。
新聞を取らなくなって久しい。昔は、朝刊に挟まれた色とりどりの広告を毎朝見るのが楽しみだった。
昔住んでいた住所の半径1キロには、スーパーが6店もあり(笑)
家族で「お、きょう○○、ボックスアイス半額なんで、朝イチに買いに行こう」「しょうゆ、特売やっているから、その次はBへ!」「○○くん、C店は、夕方4時からタイムセールで99円均一。○○と○○買いにいってきて」
そのほかにも、電化製品のチラシでゲームや携帯電話の値段を見比べるとか(笑)
毎日、早起きしてよく広告を見ていたな~。
今は、全てスマホ。全てアプリやブラウザでのネット検索で事足りる。
その代わりに、広告を見る機会がほとんどなくなった。
そもそもインターネットやスマホの普及で、新聞購読者数自体が大きく減少している。
企業も、紙でなく、電子媒体向けばっかりだ。もはや、紙媒体のチラシには戻れないだろう。
便利になれば、失うものもある
インターネット、見る手段としてのスマホが普及したことによって誰でも、どこでも、手軽に、欲しい情報が手に入るようになった。音楽、漫画、映画、ゲームなど、娯楽性の高い情報も、なんでも手に入る。LINEによるチャットでの意思疎通をはじめ、時間の確認、アラーム、写真撮影、メモをする、など。もはやスマホがないと生活が成り立たないレベル。
スマート「フォン」なので、基本的に電話のはずだが、もはや「フォン」というか「相棒」というか「必需品」というか。(よっぽどのときを除いて)外出する際、仕事に行く際に忘れたら、取りに帰るレベルである。
身の回りの生活や、世の中に浸透し過ぎてもはや、離れられない。
浸透しまくっている理由は、やはり「とてつもなく便利」と大多数の人が感じているからだろう。
その一方で、先ほどの家族の団らんの機会が減ったり、会話が減ったり。
旅行先でも、Googleマップが非常に優秀で、探しているお店をすぐに見つけることができるので、昔のように道すがらですれ違った、犬の散歩をしているような地元っぽい方に「すみません。このあたりで、○○っていう名前のお店があるって聞いたんですが、ご存じですか?」という会話は、もうない。
こう考えてみると、便利は歓迎だけど、コミュニケーションの機会は減った。
道を聞かれて「ありがとう!」と言われた時の、気持ちのよい感覚を経験する機会もほとんどなくなった。
何か、大切なものを失った気がするのは、自分だけか。