ルネちゃんの「よく遊び、よく学ぶ」ブログ

「良く学び、よく遊ぶ」をモットーに。「ちょっとした変化」「ちょっとだけ頑張っているコト」をテーマに。「伝える力」を鍛えるために。

大切なものを失った気がするのは、自分だけか

  1. iPhoneUNIQLOアプリ
  2. 待ちの姿勢で事足りる
  3. 朝、チラシから会話が始まる
  4. 便利になれば、失うものもある

 

iPhoneUNIQLOアプリ

 

自分のiPhoneには、

赤いアイコン、白抜き文字の「UNIQLOアプリ」が入っている。

着心地のよい、綿の半そで、長袖を安く買いたいから(笑)

 

お気に入りに登録しておくと、アプリのハートマークをクリックすれば、

お気に入り登録商品が「ズラッと」表示される。

お気に入り登録している商品が値下げされたら、スマホに通知がくる。

「商品が値下げされました!」

 

 

アプリを開いてみると、ほう。

「¥1,290値下げ」

よし、買おう(笑)数量と購入ボタンをクリック

それで終了。黒猫さんたちが、配送してくれて、2~3日で家に届く。

 

待ちの姿勢で事足りる

 

UNIQLOアプリを開くと、たまに広告が最初に表示される。

スーパーの広告みたいに、アウター、インナー、下着、カバンなど小物類

1枚の画像に、所せましと商品、数字が並んでいる。

新商品とかなら別だが、自分の欲しいものが決まっているなら、もはや

あまり広告を見る必要はない。

向こう(アプリ)からこちらに通知がくる。

わざわざこちらから、広告を見まわして、「あの商品今週安くなっているかな?」と

探す必要がない(笑)

 

本当に便利な世の中になった。

 

朝、チラシから会話が始まる

 

今でもよく覚えている。

自宅のドアポストに、朝5時頃「シュ!」と差し入れられる。

誰か起きている人は、さっと取りに行く。新聞である。

新聞に挟まれているのが、カラフルな「紙のチラシ」

多いときは20枚ほど入っていた、と記憶している。

 

毎朝の家族の会話は、チラシからだった。

 

新聞を取らなくなって久しい。昔は、朝刊に挟まれた色とりどりの広告を毎朝見るのが楽しみだった。

昔住んでいた住所の半径1キロには、スーパーが6店もあり(笑)

家族で「お、きょう○○、ボックスアイス半額なんで、朝イチに買いに行こう」「しょうゆ、特売やっているから、その次はBへ!」「○○くん、C店は、夕方4時からタイムセールで99円均一。○○と○○買いにいってきて」

 

そのほかにも、電化製品のチラシでゲームや携帯電話の値段を見比べるとか(笑)

毎日、早起きしてよく広告を見ていたな~。

今は、全てスマホ。全てアプリやブラウザでのネット検索で事足りる。

その代わりに、広告を見る機会がほとんどなくなった。

そもそもインターネットやスマホの普及で、新聞購読者数自体が大きく減少している。

企業も、紙でなく、電子媒体向けばっかりだ。もはや、紙媒体のチラシには戻れないだろう。

 

便利になれば、失うものもある

 

インターネット、見る手段としてのスマホが普及したことによって誰でも、どこでも、手軽に、欲しい情報が手に入るようになった。音楽、漫画、映画、ゲームなど、娯楽性の高い情報も、なんでも手に入る。LINEによるチャットでの意思疎通をはじめ、時間の確認、アラーム、写真撮影、メモをする、など。もはやスマホがないと生活が成り立たないレベル。

スマート「フォン」なので、基本的に電話のはずだが、もはや「フォン」というか「相棒」というか「必需品」というか。(よっぽどのときを除いて)外出する際、仕事に行く際に忘れたら、取りに帰るレベルである。

身の回りの生活や、世の中に浸透し過ぎてもはや、離れられない。

浸透しまくっている理由は、やはり「とてつもなく便利」と大多数の人が感じているからだろう。

その一方で、先ほどの家族の団らんの機会が減ったり、会話が減ったり。

旅行先でも、Googleマップが非常に優秀で、探しているお店をすぐに見つけることができるので、昔のように道すがらですれ違った、犬の散歩をしているような地元っぽい方に「すみません。このあたりで、○○っていう名前のお店があるって聞いたんですが、ご存じですか?」という会話は、もうない。

 

こう考えてみると、便利は歓迎だけど、コミュニケーションの機会は減った。

道を聞かれて「ありがとう!」と言われた時の、気持ちのよい感覚を経験する機会もほとんどなくなった。

 

何か、大切なものを失った気がするのは、自分だけか。